story

About Isolated Memories 3/3

written by Shunta Ishigami

photograph by Yusuke Abe

 現代社会を生きる私たちにとって離島は孤立や断絶のイメージとともにあるかもしれないが、貿易や交易の歴史を辿ればわかるように、離島はつながりを生み出す場でもある。私たちにとって小値賀諸島は日本列島の西端に位置する島々かもしれないが、視点をずらせばそこは中国大陸や朝鮮半島、済州島といった多くの地域をつなぐ文化の中心地にも見えてくる。海に浮かぶ島々は、そういうふうにして文化のネットワークを構築してきた。だから島の暮らしに触れることは、こうしたネットワークに自身を接続することでもあるだろう。

 「小値賀諸島の歴史を知っていくなかで、島の方々との対話や共同作業を行いながら、自分たちにとってのファッションの役割を考えなおせるのではないかと考えていくようになりました。歴史が紡いできた装いを再考し心の拠り所となる場所をつくれるのではないか、小値賀諸島という群島を通じて新たな人間像を想像できるのではないか――そんな問いを考えるようになっていきました」

 以前からファッションには人間の心を癒やす力があると考えてきた山縣にとって、小値賀諸島はファッションと治癒について考えさせられる場でもあったようだ。とりわけ彼の地に根付いていたとある仕組みは山縣へ豊かなインスピレーションを与えたという。

 「民俗学者の柳田國男はかつて、小値賀諸島の一部をなす宇々島を『困窮島』と呼んだと言われています。宇々島の隣にある大島ではかつて、貧困にあえぐ人を宇々島のような小さな島へ移り住ませ、非課税対象にすることで自立を促していくような仕組みがあったそうです。享保の大飢饉の頃から昭和30年代まで200年以上この制度は続き、現在では『自立更生の島』とも呼ばれています。江戸時代の頃から小値賀諸島では持続的なセーフティーネット制度がつくられていたわけですよね」

 金銭的な支援によって生活を立てなおすのではなく、自然とのつながりを回復させながら自らの生活を取り戻すこと。現代の私たちからすると貧困層を社会から切り離しているようにも思えてしまうこの制度はしかし、つながりを取り戻すための仕組みだったのかもしれない。

 「こうした小値賀諸島の暮らしや歴史に学びながら、ここで新たな場づくりや活動を広げていけないか模索しています。自立更生の島へ渡った人が島での暮らしを通じて回復していったように、若い人々が糸づくりや糸紡ぎなどものづくりの源流に触れたり自然に触れて暮らしたりしながら、装いを通して新たな表現を生み出せるような場をつくってもいいかもしれません。まだまだたくさん学ぶことがありそうです」

山縣がそう語るように、writtenafterwardsと小値賀諸島はつながったばかりだ。今回発表されたコレクションもまた、山縣と小値賀諸島が、writtenafterwardsと群島の文化が、つながりはじめるプロセスの一端として捉えられるべきものなのかもしれない。